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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和31年(う)480号 判決

控訴人 被告人 横山章

検察官 西向井忠実

主文

本件控訴を棄却する。

当審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

弁護人江川庸二の控訴趣意は同人が提出した控訴趣意書に記載したとおりであるからこれを引用する。

所論は要するに原判決は被告人が松藤ツヨ子を原判示目的で金員を貸与し部屋を与えて宿泊せしめ同女を自己の支配下に置いた旨認定したが単に金員を貸与して宿泊させただけでは自己の支配下に置いたと解することはできないしまた被告人は同女を支配する意思もなく、支配した行為もなく、ツヨ子にも被支配意思はなかつたのであるから、原判決は法律の解釈を誤りひいて事実を誤認したものであるというに在る。

按ずるに児童福祉法第三四条第一項第九号は「児童の心身に有害な影響を与える行為をさせる目的をもつて、これを自己の支配下に置く行為」と規定しているのであるが被告人が松藤ツヨ子に売淫をさせる目的で雇入れることとしたことは記録上明らかであるから、「児童の心身に有害な影響を与える行為をさせる目的」であつたことは容易に認め得るところであるが被告人が同女を自己の支配下に置いたものであるかどうかの点について更に検討すると同条の「自己の支配下に置く」とは児童の意思を左右できる状態の下に児童をおく場合に解せられる。しかして児童の意思を左右できる状態とは児童の意思を心理的に且外形的に抑制して支配者の意思に従わせることができる立場に立たせた状態をいうものと解せられるが必ずしも現実に児童の意思を抑制することがなくても客観的に児童の意思を抑制して支配者の意思に従わせ得る状態を顕現した場合も同条同号にいう支配下に置いたということを妨げないと解する。今本件につきこれをみるに原判決も認定したように被告人は松藤ツヨ子を接客婦として雇入れ淫行をさせる目的を以て同女に前借金四万円を貸与し自己の管理する家屋内の一室に宿泊せしめ(被告人経営の特殊飲食店酔月に)以て同女を自己の支配下に置いたというのであるが被告人が同女を接客婦として雇入れこれに前借金を貸与したことは同女をして被告人方で売淫してその対価により右借用金を返済すべき特殊飲食店における接客婦と雇主との慣行に従わせる結果となり且つこれに自宅内の一室に宿泊させたことは同女を被告人の看視下にある右酔月で被告人の意思に従つて前記慣行による売淫に従事せざるを得ない立場に置いたものというの外はなく被告人は主観的にも客観的にも松藤ツヨ子を自己の支配下に置いたものと謂わざるを得ない。所論は支配下においたといい得るためには支配意思、支配行為、被支配意思の三要件を具備するを要するというのであるが被告人が支配意思を有していたことは被告人が松藤ツヨ子を接客婦として雇入れ自己の経営する特殊飲食店酔月で稼働させようとしたことにより明らかであり、同女に前借金を貸与し酔月に宿泊させたことが同女の意思を左右できる状態に同女を置いたものということができる。なお所論は被支配意思の存することを要件としているが同条同号の支配については被支配者が支配者から支配されているという認識はこれを要しないものと解する。何となれば児童福祉法は児童が心身ともに健やかに生まれ、且育成され、ひとしくその生活を保障され、愛護されることを要求したものであり殊に同法第三四条の対象とするところは不具奇形児童、精神薄弱児童、盲ろうあ児童を初めとし心身共に未熟の児童を保護する為めに規定せられたものであるから所論の支配者の主観的要件の外は単に客観的に支配者が児童を支配可能の状態におくことだけで足り被支配者が支配者から支配されているという認識を有することの有無はいわゆる支配行為の成否に何等の消長を及ぼすものではないと解せられるしなお若しそうでないとすれば精神薄弱児等自己の行動に対する認識すら不十分な児童を同条の対象とした場合に児童に被支配の認識を要するものとすれば本条の適用を免れる結果となり立法の趣旨は全く没却される結果を招来することも考えられるからである。従つて原判決が原判示のとおり被告人が松藤ツヨ子を自己の支配下においたと認定したことは相当であつて原判決には所論のような法律の解釈を誤り事実を誤認した違法はないから、論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却し同法第一八一条第一項本文により当審の訴訟費用は全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 筒井義彦 裁判官 二見虎雄 裁判官 淵上寿)

弁護人江川庸二の控訴趣意

第一点法令適用の誤 原判決は罪となるべき事実として「被告人は宮崎県延岡市北三ツ瀬北二千八百七十五番地において特殊料亭酔月を経営しているものであるが、昭和二十九年九月十八日頃前記酔月に於て当時満十八才に満たない中村ヒロ子、松藤美代子こと松藤ツヨ子(昭和十二年三月六日生)を接客婦として雇入れ淫行をさせる目的を以て同女に前借金四万円を貸与し部屋を与えて宿泊せしめ以て同女を自己の支配下においたものである」と認定し右は児童福祉法第三十四条第一項に該当するものとした、然しながら「前借金四万円を貸与して部屋を与えて宿泊させる」行為が「支配下においた場合」にあたるとした右判決は法令の解釈を誤つたものである。

抑も「支配下においた」といい得るためには次の三つの要件が備わつていなければならないものである。支配意思 支配せんとする意思。支配行為 支配意思の実現とみられる行為であり現実の監視行為又は命令行為及び時間的要素を含む。被支配意思 支配を受けていることの認識。又本条に所謂支配とは「児童の意思を左右できる状態のもとに児童を置くこと」である。支配意思及び被支配意思の点については後記事実誤認の問題として論ずることとし右支配行為の点についてのみ述べる、前借金四万円を貸与し部屋を与えて宿泊させることが抑も支配行為といえるであろうか、而も右については次のような事情が明らかとなつている。

(1)  前借金四万円に関し、イ 右は被告人と中尾との間に授受され松藤ツヨ子には知せてない。ロ 前借金を交付したからといつてその後松藤ツヨ子を監視する為の処置を講じ又は同人に何等かの命令、注意等をした事実は全然存しない。

(2)  宿泊させたことについて、イ 宿泊は松藤ツヨ子の依頼があつてなされたものである。少くとも被告人よりその様に仕向けたという証拠は全然存在しない。ロ 時間的にいえば十八日の午後十時頃から翌十九日の午前十時頃までにすぎない。ハ 翌日十九日松藤は宮崎に行つたがその任意にまかせている、而もそれは被告人が中尾の不信を知つてからの事である。ニ 宿泊した部屋は階下の仲居部屋の隣りでありこの点は必ずしも明らかでないが実際は何れの方向からも戸外に出られる部屋である。前借金を貸与し宿泊させる行為が必ずしも「自己の支配下におく」行為にならないと主張するのではない。然してそれにはそれに附随する各事情が吟味されなければならないのである。本件に於ける被告人が松藤に四万円を貸与し部屋を与えて宿泊させた行為は「松藤の意思を左右できる状態のもとに同人をおかなかつたこと」が明白でありこれを看過した原判決は法令適用の誤り又は理由不備の違法があるものといわなければならない。

第二点事実誤認 被告人は「松藤を自己の支配下におく意思」は全然なかつた。然しこの点は第一点に述べたところにより明らかであるから再説を避ける。又外に被告人の支配意思を認めるに足る証拠は全然ない。

なお松藤には被告人から何等かの支配を受けているという認識は全然なかつた。第一点に於ても多少ふれたが次の証拠を参照されたい。(松藤ツヨ子の原審公廷に於ける供述)、イ 証人は横山の家で金を借りたか。

いいえ借りません。ロ 結局その金は中尾か横山の方から証人の前借金の中から差引いたものとは知らないか知りません。唯でくれたと思つたのか。私はただ中尾さんが着ておれとか言われたものですからそんな事は別に考えません。証人はかかえ主の方から身代として差引いて取つたとは思わないのか。いいえその前に中尾さんは少し金のあるのを私に見せたことがありますから別にそんなことは考えません。ハ 横山の家に一晩泊つたとき証人は誰からか監視されたとか自由を束縛されたとかいうことはないか。いいえそんなことは絶対ありません。

原判決は右事実を何れも誤認するものであり右は本件犯罪の成立要件であるから判決に影響を及ぼすべきことが明らかである。原判決を破棄し被告人に対し無罪の言渡をされたい。

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